そろえようとすると、見えなくなるもの

話をそろえようとすると、
途端に言葉が少なくなる場面があります。
「ひとまず、その方向で」
「大きくは、そういう理解で」
「細かいところは、進めながら考えましょう」
その場は、前に進みます。
けれど、本当にそろっているのかは、少しわからなくなる。
もちろん、話をそろえることは大切です。
関わる人が増えるほど、方向を確認する必要があります。
ただ、早くそろえようとすると、
まだ言葉になっていない違いまで、閉じてしまうことがあります。
同じ言葉で、違うものを見ている
たとえば、「効率化」という言葉があります。
ある人は、作業時間を減らすことを考えている。
別の人は、属人化を減らすことを考えている。
また別の人は、ミスを減らすことを考えている。
どれも、効率化の中に含まれます。
だから、誰かが間違っているわけではありません。
けれど、同じものを見ているわけでもありません。
同じ言葉で、違うものを見ている。
その違いは、
言葉がそろった瞬間に、見えにくくなることがあります。
そろえることは、違いを消すことではない
「方向性は合っていますね」
「認識はそろいましたね」
そう言えると、安心します。
けれど、その言葉によって、
本当は残っていた違いが、置き去りになることもあります。
気をつけたいのは、
揃っていないことではなく、揃っていることにしてしまうこと。
少し違っているものを、同じものとして扱ってしまう。
まだ確かめきれていないことを、確かめたことにしてしまう。
そのまま進むと、言葉はそろっているのに、
見ているものは少しずつ離れていきます。
だからこそ、少し違っているものを、
違ったまま置いてみる時間が必要なのだと思います。
何が違っているのか。
どこまで同じで、どこから違うのか。
そこを見ようとすることで、
本当にそろえるべきものが、少しずつ見えてきます。
そろえることは、違いを消すことではありません。
違いを見たうえで、何をそろえるのかを確かめること。
そのひと手間が、次に進むための足場をつくっていきます。
では、その違いを、誰が見ているのでしょうか。
そのあいだに立つ人は、
何を見て、何を言葉にしているのでしょうか。