どちらも正しいとき、人はぶれる

2026.04.25

「それで進めましょう」と言った直後に、
少しだけ残る違和感。

誰も反対していない。
方向も決まっている。

それでも、どこか落ち着かない。

変化を進めようとしている場面では、
こんな感覚に出会うことがあります。

話し合いは前に進んでいるはずなのに、
どこか定まらない。

誰かが間違っているわけではありません。
むしろ、それぞれがきちんと考えている。

それでも、なぜか揺れていく。

どちらも正しいからこそ、揺れる

たとえば、現場は「今すぐ使える形」を求めています。
一方で、将来を見据える立場からは、「長く使える設計」にしたいという考えがあります。

どちらも、間違ってはいません。
どちらも正しいからこそ、揺れる。

そのあいだに立つと、
どちらにも応えようとして、少しずつ判断が動いていきます。

また、目的そのものは明確なはずなのに、
気づけば判断が変わっていることもあります。

効率化を目指していたはずが、気づけば品質を優先していたり、
品質を重視していたはずが、現場の負担を考えて簡易な方法に寄っていたり。

方向を変えたつもりはなくても、
そのときどきで見ているものが少しずつ違うと、
判断の軸も、静かに動いていきます。

目的が同じでも、判断の基準は揺れる。

決まっているはずのものが、揺れるとき

本来、判断の軸や基準は、あらかじめ定められていることも多いはずです。
それでも、実際の場面では、その通りに判断しきれないことがあります。

それぞれの立場や状況を踏まえて、丁寧に考えようとするほど、
複数の正しさが見えてくるからです。

そして、そのあいだで判断しようとするとき、
人は自然と揺れていきます。

誠実に考えている人ほど、ぶれやすい。

ぶれてはいけない、という話ではありません。

ただ、気づかないまま揺れ続けると、
どこに向かっているのかが、少しずつ見えにくくなっていきます。

いま、自分はどの立場で考えているのか。
何を優先しているのか。

それを一度、立ち止まって言葉にしてみるだけでも、
見え方は変わってくるのかもしれません。

そして、この揺れは、
ひとりの中だけで起きているわけではありません。

関わる人が増えるほど、
そのあいだにも、少しずつ広がっていきます。


 

その揺れは、
ときに「そろっているように見える言葉」の中にも、
静かに残っていることがあります。

そろえようとすると、見えなくなるもの