「結局、正解は何ですか?」と言われるとき

「結局、正解は何ですか?」
研修の場で、ときどき聞く言葉です。
グループワークのあとや、少し考える時間を設けたときに出てくることがあります。
似たような言葉もあります。
「体系的に教えてほしい」
「フレームワークはありますか」
「講義で教えてもらった方が早い気がします」
こうした言葉を聞くたびに、どこか引っかかるものがあります。
研修とは、対話する時間だと思っているからです。
もし対話が必要ないのであれば、eラーニングでも十分なのではないか。
そんなふうに考えてしまうこともあります。
正解や型を求めること
正解や型を求めること自体が、悪いわけではありません。
フレームワークや整理された知識は、
状況を理解する手がかりになることも多くあります。
ただ、それをそのまま当てはめることが、
考えることの代わりになってしまうことがある。
そんな場面があるように感じるからです。
多くの人はこれまで、
正解を覚える学びや、模範解答を探す学びに慣れてきています。
その環境では、
「自分で考える時間」や「対話の時間」は、
意味が見えにくくなることもあるのかもしれません。
対話の時間が意味を持つとき
対話の時間は、正解を見つけるための時間ではありません。
それぞれの考えを外に出し、
そこから新しい視点を見つけていく時間です。
少しだけ立ち止まる理由
型や正解を知ることは、もちろん役に立ちます。
ただ、それが
「考えなくてもよい方法」
になってしまうとき、私は少しだけ危うさを感じます。
正解を求める声の背景には、
もう一つ別の期待もあるように思います。
「体系的に教えてほしい」
「フレームワークを知りたい」
そうした言葉は、どこから生まれてくるのでしょうか。
「体系的に教えてほしい」「フレームワークを知りたい」
という声については、こちらでも触れています。